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2011/08/23 (Tue) 若干18才の美少年、切腹す!

8月20日(土)24時間テレビ 帝塚山病院会場の帝塚山まつり、行ってきました。
会場には焼きそばを始め食べもん屋さん(大阪弁)、スマートボールなんかの露天もでて、ぬいぐるみと一緒に写真を撮って無料配布や、だんじり、紅白もちまき等こじんまりと良いまつりです。
奈良東病院の方4~50人の阿波おどりではじまった舞台の前で輪になっての盆踊り大会です、帝塚山病院の人、老人介護ケアーの人も車椅子で参加、和やかでアットホームな感じです、私も介護が必要になったら帝塚山病院にお世話になろうかな?DSC00014.jpg DSC00023.jpgDSC00019.jpg
20日夜の最後のイベントが、鉄砲光丸、藤かほり、光丸社中の河内音頭です、まず出だしは藤かほりさんの「河内おとこ節」でスタート、光丸社中の方々の河内音頭の後、鉄砲光丸さんが 
河内音頭「忠臣蔵外伝 矢頭右衛門七 忠義録」を約16分、可愛い声で、紅顔の美少年、右衛門七を演じ、大石内蔵助との声を変えての名調子、目の前で聞いてまたまた感激です、
DSC00024.jpgほんのさわりですが、見てください。

とりは藤かほりさんで、
河内音頭「森の石松」を熱演、バッチリ、ビデオに収めました。
DSC00027.jpg ほんのさわりですが、見てください。

矢頭右衛門七は1686-1703江戸時代前期の武士で、貞享(じょうきょう)3年生まれ。赤穂四十七士のひとり。大石主税につぐ年少で、討ち入ったときは、わずか17歳であった。
父、長助は、赤穂開城後、大坂に引き移り、同志との連絡にあたっていた。 ところが、父が病に倒れてしまったので、円山会議には右衛門七が父の代理として出席した。
しかし、はじめ大石内蔵助はあまりにも年若の右衛門七を同志に加えることを許さなかった。
同志に加えてもらえなければ切腹もしかねないという右衛門七の姿に、 内蔵助はついに右衛門七を父長助の代わりに同志に加えたという。
父の矢頭長助とともに大石良雄にしたがう。病没した父の戒名をかいた紙を兜頭巾(かぶとずきん)の裏におさめて討ちいったという。
元禄(げんろく)16年2月4日水野邸で切腹。18歳。名は教兼(のりかね)。墓は大阪市北区堂島3丁目「浄祐寺」境内に有るとの事です、私は行ってないので、墓参に行きたいと思います。
 右衛門七 参考に観てください。


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